読み返し

時空防衛隊1944〈4〉原爆阻止作戦 (コスモノベルス)

時空防衛隊1944〈4〉原爆阻止作戦 (コスモノベルス)

印象深い文章を長々と抜粋。ナイフ片手の泥棒に入られたときのたとえ話。

アメリカ人だったら、まず自分の拳銃を取りだし、有無を言わせず「ナイフを捨てろ」と威嚇するだろう。相手が拳銃を持っていたら、すかさずライフルで威嚇する。常に相手より有利な状況に立たなければ満足しないのが、アメリカ人の性根である。
その上で捕縛し、得々と、手前勝手な自由と平和を教え込む。強盗が悔い改めたら、驚くほど寛大な措置を行う。「貴様は改心した。だから今度は俺から愛してやる」というわけだ。当然だが、裏切ったり悔い改めたりしなければ、そのときは問答無用で撃つ。

イギリス人なら、はい信じますと口では言いつつ、そっと電話に手を伸ばし、警察に電話してしまうだろう。そして警察が間に合わないことを視野に入れ、自前の防衛手段として、テーブルの上にある花瓶へ用心深く手を伸ばし、いつでも強盗の頭をたたき割る準備をするはずだ。いったん優位に立てば、イギリス人ほど恐い存在はない。強盗の命は、もはや風前の灯火である。

フランス人なら、最初から強盗に入られないよう準備を怠らない。鍵を何重にもかけ、なおかつ貴重品を家に置いておかないことを公言する。それでも強盗に入られたら、警察が助けてくれるまで、徹底した面従腹背に徹する。それでいて、助けてくれた警察に感謝することはない。彼らが公僕であることを、フランス人は本能的に知っている。

ロシア人は、まず逃げ出す。その上で、機関銃を余所から盗んできて強盗を撃ち殺し、なおかつ強盗の家へ逆に押し入り、自分が強盗となってすべてを奪う。しかし、自分のことを強盗とは決して呼ばない。あくまで、自分は被害者だと言い張るだろう。

中国人も、ひたすら逃げる。地平線の果てまで逃げ、そののち尻を出して相手侮辱する。そして強盗が去ったら、何事もなかったかのように戻ってくる。取られたものはあきらめるが、中華精神だけは守り通すのが中国人だ。

あのドイツ人ですら、論理的に強盗に入られない手段を考え、もしセキュリティ的な手法でだめだとわかれば、素直に完全武装する。むろん入ってきた強盗は、家族を守るという理由でもって、もっとも効率的な手段……科学的に抹殺されるだろう。

日本人だけだ。
素直に縄で縛られた上、強盗の言うことを信じ、率先して隠しておいたへそくりのありかまで教えてしまうのは……。主人に対し、犬のように隷属的で牛のように自虐的なのが、未来世界の日本人の性根だった。

たが山本は、先ほど明言した。
昭和世界の日本は、そのような国ではないと。
事実、未来世界の日本国も、かつてはそうだったのだ。

かなり手前勝手ながら、なけなしの資金をはたいて不相応な防犯対策を行い、それでも泥棒が侵入をほのめかすや、自分から出て行って、泥棒があっと驚く新型ナイフで一刺ししたのが、かつての日本だった。
ただ、残念ながら泥棒組織の規模を読めず、反撃されたあげく、最後には家の敷地まで取られてしまった。
多くの教訓と反省を残した、過去の日本。
それを、道理と真理の面で学ぶことこそ重要なのに、なんと戦後の日本は、泥棒の言い分だけを信じ込み、そもそもが、身分不相応の防犯対策をしたから泥棒に入られたのだと信じてしまった。
つまり、防犯対策をしなければ泥棒に入られることもなかったという屁理屈が、堂々とまかり通る世の中になってしまったのだ。
こんな馬鹿な話があるだろうか。
防犯対策をしなくてよかったのは、背後でもと泥棒集団だった組織暴力団が、新たに来た泥棒がすくみ上がるような恫喝を行い、きちんと守ってくれたからだ。
その代わり、暴力団に対するみかじめ料は払わざるを得ない。また、暴力団が守ってくれたのは、そこが自分の縄張り--資金源だったからにすぎず、決して日本のことを思ってくれたわけではない。
しかも驚いたことに、次第に重荷になってきた暴力団が「ちっとは護身用のナイフくらいもたないか?」と言い始め、またもや日本はそうかと信じ、ちっぽけなナイフを暴力団から購入した。それが年々、豪勢になっていき、最後には世界でも三番目に立派なナイフになった。
それでもなお、表向きは防犯対策していないと言い張る国なのだ。