太平洋戦争開戦にいたる理由(戦力編)

といきなり書き始める。いかに、政治的、外交的に行き詰ったとしても戦力なくしては戦争を決意することはできない。始めたのはいいがはじめから最後まで一矢も報いずに負けたのではかえって立場を悪くするだけでいいところがないと判断されるからだ。
戦争を始めるからにはそれなりの戦力的な裏付けがなくてはならないと思う。これは、一方的に宣戦布告されて防衛戦争とならない限り真理であると思う。いかに、欧米列強から圧力をかけられまくっていたとしても全く勝算がないのなら始めないだろう。時の連合艦隊長官である山本五十六は半年はそれくらいなら暴れ回ってみせるという趣旨の言葉を残している。短期ならばなんとか戦えるという勝算があったのでしょう。すこし、この言葉の根拠となる戦力をみてみたいと思う。

零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)

いわゆる零戦である。皇紀2600年に制式採用されたことからそのような名前となっている。
登場当時は世界最高の性能を持っていた。開戦当時の最新型といえば、21型である。主なスペックは全幅12メートル、全長9.06メートル、全備重量2410キログラム、出力940馬力(栄12型)、速力518km/h、武装20mm機銃2門・7.7mm機銃2門・爆弾120kgといったところである。
当時の、アメリカの主力艦上戦闘機であったF4F3型(通称ワイルドキャット)と比較してみると、全幅11.58m、全長8.78m、全備重量3205kg、出力1200馬力、速力531km/h、武装12.7mm機銃4門・爆弾90kgとなっている。
比べてみると、ワイルドキャットの方が出力が大きく重くなっている。これは、設計思想によるところである。ワイルドキャットの方は防御力に優れていたが、鈍重で空戦性能としてはよくないと言うことがいえる。また、速度の面から見ても日米で計測の仕方が違うので単純には比較にはならないだろう。アメリカでは飛行に不要なもの……機銃などを取り外し燃料もわずかの状態で計測したのに対し、日本では機銃弾も満載、燃料は攻撃開始の状態を想定し2/3の状態で計測したものである。当然、日本の航空機の速度は控えめな数字として出ることからほぼ互角程度とみるべきだろう。
火力の面から見ると、アメリカは12.7mmを4門装備していたのに対し、日本は7.7mmと20mmを2門ずつ搭載している。使い勝手の面では同じ口径の機関銃を装備した方がよいと思われるが、7.7mmでは非力、20mmでは携行弾数に限りがある。決定的な機関銃を装備できなかったのは不利な面だと思う。

九九式艦上爆撃機

主なスペックとしては、全幅14.40m、全長10.20m、全備重量3650kg、出力1000馬力、速力381km/h、武装7.7mm機銃3門・爆弾250kg 60kg*2である。
急降下爆撃を主任務とする航空機で一つ一つの威力は小さいものの命中率が高い。セイロン島沖海戦では53機がイギリスの重巡洋艦に対して攻撃したが88%もの命中率を上げている。同じく、イギリス空母ハーミスに対する攻撃では45機が投弾、命中が37発で82%の命中率を上げている。現代のように誘導装置が付いていない爆弾としては最高の命中率といえる。
アメリカの対抗機としてはSB2U(通称ビンディケイター)があげられるが、これは緩降下爆撃しか行えず米軍機としては防弾装置も貧弱きわまりなく航続距離も短く目立った戦歴をあげることはできなかった。
なお、開戦直前にSBD(通称ドーントレス)の量産が始まっている。

九七式艦上攻撃機

主なスペックとしては、全幅15.51m、全長10.30m、全備重量3650kg、出力830馬力、速力350km/h、武装7.7mm機銃1門・爆弾800kgまたは魚雷1である。
雷撃と水平爆撃を主任務とする航空機である。真珠湾攻撃を始めミッドウェイ海戦などでもおおくの戦果を上げている。
アメリカの対抗機としてはTBD(通称デバステータ)があげられる。これのスペックとしては全幅15.24m、全長10.67m、全備重量4624kg、出力900馬力、速力332km/h、武装7.7mm機銃2門・魚雷1または爆弾450kgである。性能面で言えば、九七式艦上攻撃機の方が上といえる。雷撃、水平爆撃を行うという任務の性質上、敵機や対空砲に追い掛けられたとしてもひとたび攻撃態勢に入ったのなら必中を期すためには逃げるわけにも行かず生存性を高めるにはひたすら速力と防弾装置がものを言う。防弾装置を同等とみるならば速力の速い九七式艦攻が上である。
また、デバステータはミッドウェイ海戦において3隻の空母から41機も出撃したが帰還したのはたった4機しかなかった。零戦の攻撃がデバステータに集中したと言うこともあるがそれにしてもすさまじいばかりの被撃墜率といえるだろう。

一式陸上攻撃機

陸上から発着する雷撃可能な爆撃機日本海軍では陸上攻撃機と呼んでいた。高速かつ長大な航続力を要求した1式陸攻はその反面防御力の弱さを持っていた。これは、広い主翼の大部分に燃料タンクを装備したためである。このために、主翼に銃弾を浴びると火災を起こしすぐに撃墜されてしまうという欠点があった。この脆弱性は長大な航続力とのトレードオフである。
主なスペックとしては全幅25.00m、全長20.00m、全備重量9500kg、出力1530馬力2基、速力444km/h、武装20mm機銃1門・7.7mm機銃4門・爆弾1000kgまたは魚雷1。
九六式陸上攻撃機と共同でマレー沖海戦にてイギリス東洋艦隊を撃滅するという戦果を上げている。また、中国戦線においてもその長大な航続距離をもって重慶成都を爆撃している。
また、山本五十六連合艦隊長官の前線視察の際に使用された航空機としても知られている。アメリカ陸軍のP38戦闘機の奇襲により撃墜され山本五十六連合艦隊長官は戦死している。

空母

海戦当時の正規空母としては日本海軍は、赤城、加賀、飛龍、蒼龍、翔鶴、瑞鶴の六隻あったのに対して、アメリカはレキシントンサラトガ、ヨークタウン、エンタープライズ、ホーネットの五隻で、しかもアメリカは太平洋だけでなく大西洋にも配備しなければならない。当初、ヨークタウン、ホーネットは大西洋に配備されていた。
海戦当初は空母は数において優勢に立っていたといえる。これは同時に艦上機を数多く運用可能であるという点において攻撃の面で優位であったといえる。

戦艦

海の上での戦力の象徴とも言うべき戦艦であるが、すでに時代は航空機優勢になっていた。しかし、開戦前は航空機の優勢が証明されていたわけではなく戦艦は航空機によっては撃沈不可能だと信じられていた。
日本の戦艦の象徴といえば、開戦直後に竣工した大和および武蔵であると思う。世界最大の主砲を装備しこの主砲に耐えうるだけの防御力を付与された。大和型を建造したことは戦後の造船技術を語る上でも欠かせないものといえるだけの最新技術が搭載されている。
その象徴的なものはバルバス・バウだろう。海面下に球状の艦首がありこれによって波を打ち消しあう形にし抵抗を減らし速力向上に寄与することになる。現代の大型船では常識ともいえる艦首形状であるが当時としては画期的といえるだろう。

巡洋艦

ワシントン条約の締結によって主力艦の建造ができなくなったので補助艦艇(基準排水量1万トン以下、20.3㎝砲以下)の範囲内で強力な巡洋艦の建造が必要となった。いわゆる条約型重巡である。
日本においては妙高型、高雄型がこれにあたる。ワシントン条約後に利根型(条約失効が判明したため途中20センチ砲搭載になった)がある。いずれも、排水量1万トンの枠内で最高の性能を付与されている。尚、妙高、高雄型が1万トンをわずかに上回っているというのは秘密です。

酸素魚雷

酸素魚雷日本海軍が誇る世界の水準を遙かに上回る兵器と言ってよいでしょう。
長大な航続力をもち戦艦主砲弾に迫るだけの距離から発射可能である。しかも、無雷跡である。欧米各国の海軍は空気の変わりに酸素を用いることで無雷跡の魚雷を作ることができるということを知っていたがこれを実用化したのは日本海軍のみであった。開発途上事故が絶えなくあきらめてしまったのである。魚雷は一般的に石油・アルコールなどの燃料と空気の酸化剤を搭載しこれを燃焼して推進している。しかし、空気の変わりに酸素を積むとなると取り扱いが非常に難しい。イギリスではいったん開発に成功したと思われたが搭載した軍艦での事故が多発し廃棄されている。
日本では、1933年に酸素魚雷の開発に成功した。魚雷始動時にはまず空気で燃焼を行い徐々に酸素濃度を上げていくということで安定することがブレイクスルーとなった。1935年に制式採用され1938年頃から配備が始まっている。
その性能は九三式1型改2で52ノットの雷速で射程は22000m、36ノットで40500mとなっている。36ノットでの射程距離は大和搭載の46センチ砲に迫る。しかも、その炸薬量は480kgに及ぶ。
アメリカの魚雷の性能と比較すればその性能は歴然としたものとなる。アメリカのマーク15という魚雷は雷速45ノットで射程は5500mと目一杯突撃しないととても届くものではない。イギリスにしても41ノットで射程は10000mとアメリカに比べれば長いがこれでも思いっきり近くまで踏み込まなければ発射できるものではない。これは、戦艦に対して雷撃をすることを考えると主砲弾は直接照準でも命中させられる距離であることからなかなか踏み込める距離ではない。また、魚雷発射可能な距離に何とか踏み込み見事命中させることができたとしてもアメリカの魚雷は初期の頃は不発であることが多かったという。信管の感度調節がうまくいかなかったようである。
また、見事爆発してもその炸薬量は日本の誇る酸素魚雷に比べて100kg以上少ない374kgとなっている。
むろん、40kmもの遠距離から発射したとしてもなかなか命中するものではないのだが……。


魚雷ばかりは日本の完勝といってもいいくらいの差である。
一つ付け加えておけば、航空機から発射する魚雷は通常の空気魚雷であった。これは、駆逐艦巡洋艦から発射する魚雷と比べれば照準の精度が低いため肉薄しなければとても命中するようなものではないこと。また、隠密行動で敵に知られることなく魚雷発射できることはあり得ないため必ず回避行動が取られてしまう。また、発射元が明確であれば雷跡があろうとなかろうと進路を予測し回避行動を取ることは容易である。
巡洋艦駆逐艦であれば夜間待ち伏せをして遠距離から雷撃を仕掛け着弾をして初めて雷撃されていることに気付くということはあるけども、そもそも九七式艦上攻撃機や一式陸上攻撃機に夜間雷撃能力はないと言ってもいいくらいである。
昼間に雷撃をして気付かれないなどと言うことはあり得ないためやはり空気魚雷で十分であったのだろう。